・1936年、23歳の学生シュトゥーラら4人がシュコダ・ラピッドで北極圏到達
・帰路ではベルリン五輪併催の「オリンピック・スターラリー」に参戦し金メダル獲得
・旅の記録は写真や地図とともにアルバムに残され、90年後の今も貴重な史料に
1930年代、世界恐慌に揺れるチェコスロバキアで、人々は経済的困難の中にも新しい刺激や楽しみを求めていました。失業率は20%を超え、約100万人が職を失っていた時代でしたが、やがて社会が安定に向かうと、特に若い世代の間で「旅」や「冒険」への憧れが強まっていきました。そんな背景の中で、1936年の夏に起こった出来事は、シュコダの歴史だけでなく、チェコスロバキアの若者文化の象徴ともいえるエピソードとなりました。
その物語の主人公は、当時23歳の法律学生ヴラディミール・シュトゥーラ。彼は愛車のシュコダ・ラピッドに3人の友人を乗せ、プラハから北極圏を目指す前代未聞の旅に出発しました。仲間たちはそれぞれユーモラスな「役職」を担い、写真アルバムに記録を残しています。シュトゥーラはリーダー兼ドライバー、ボフミール・ポコルニーは会計・写真・裁縫係、ボフミル・ザフラドニークは宿泊・印刷係、ラディスラフ・ティラはナビゲーター・メカニック・カメラマンとされ、笑いと冒険心にあふれた旅の空気が伝わってきます。
1936年6月25日、彼らはプラハを出発しました。シュコダ社もこの挑戦を後押しし、2万コルナを「北極圏越えとオリンピック・ラリー参加のための広報活動補助金」として提供しました。ルートはドイツを抜けてデンマークへ、さらにスウェーデンやノルウェーを縦断するもの。ストックホルムやオスロといった都市を経由し、車の轍はさらに北へと伸びていきました。
最大の難所はトロンハイムから北極圏を目指す868kmの道のり。彼らは休みなく走り続け、7月11日、ついにラピッドは北極圏の境界を越えました。この無休走行は旅の中で最長区間であり、若者たちの体力と情熱、そしてラピッドの信頼性を物語るものでした。最北端の目的地は、当時フィンランド領だった北極海沿岸の港町リーナハマリ。彼らはそこでも記念撮影を行い、形式ばったスーツ姿で海を背景に立つ姿は、青春の無謀さと気品が入り混じった印象を与えます。後年、この地は冬戦争でソ連に割譲される運命をたどることになりますが、当時の彼らにとってはただ「冒険の終着点」でした。

旅の帰路には、もう一つの大きな挑戦が待っていました。ベルリン五輪に合わせて開催された「オリンピック・スターラリー」への参加です。7月16日、フィンランドのトルニオからスタートリスト43番として154台の参加車両と共に出発しました。ルートはラトビア、リトアニアを通り、当時のドイツ領東プロイセンを抜けてベルリンを目指すもの。ラリーでは1日に1カ所だけ、前日から最低250km離れたチェックポイントでスタンプを押すことが求められ、ドライバーと車両には計画性と持久力が試されました。
彼らのシュコダ・ラピッドは、ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)を皮切りに、シュヴィーネミュンデ、リューベック、ヴィルヘルムスハーフェン、ハルツブルク、ヴィッテンベルク、リュッベナウといった都市を経て、ついにベルリンのアヴス・サーキットに到着しました。ここはオリンピックのマラソン競技の舞台でもあり、まさにスポーツと冒険の象徴的なゴールでした。
到着時、彼らは総合2位と発表されました。首位はアテネから出発したドイツのチームとされていましたが、閉会式で意外な知らせが届きます。公式結果の見直しにより、シュトゥーラたちのチームが実際には優勝と認められたのです。表彰式で授与された金メダルは、若者たちにとってこの上ない栄誉でした。
プラハに戻った彼らは大きな歓迎を受けました。チェコスロバキア自動車クラブでの祝賀会では、観衆や関係者から称賛を浴び、シュコダ社の総支配人カレル・フルドリチカからは直筆の感謝状が贈られました。さらに、彼らの肖像をあしらった記念切手まで発行され、この冒険がいかに国全体の誇りとなったかが分かります。
現在シュコダのアーカイブに収蔵されている写真アルバムは、この旅を鮮やかに物語っています。手書きのキャプション入り写真や新聞記事、そして詳細な地図が収められ、今なお当時の熱気が伝わる貴重な史料です。ページをめくると、仲間同士で役割を楽しげに名乗り合い、笑顔でカメラに収まる若者たちが現れます。冒険は単なる耐久走行ではなく、友情とユーモアに彩られた「青春の物語」だったことが伝わってきます。

この1936年の遠征は、シュコダの歴史に残る偉大な旅の一つです。自動車に荷物を積み込み、地図を片手に未知の地へ走り出す。その自由と挑戦の精神は、今日のロードトリップ文化にも通じています。しかしわずか3年後、世界は第二次世界大戦に突入し、こうした無邪気な冒険は不可能となりました。それだけに、この北極圏越えと五輪ラリー制覇の記録は、平和の象徴であり、人間の探究心と若さの力を物語る輝かしい遺産となっています。
総走行距離数千キロ、獲得ポイント4,368点。小型車シュコダ・ラピッドで挑んだ旅は、今から90年近く経った今も人々の心を打ち続けています。それは単に技術的信頼性の証明にとどまらず、シュコダというブランドが持つ「冒険心」と「人々に喜びを届ける力」の象徴として、130周年を迎えた今も語り継がれているのです。
【ひとこと解説】
シュコダ・ラピッド(Škoda Rapid)は、1935年から1947年頃まで生産されたチェコ製の小型乗用車で、セダン、クーペ、コンバーチブルなど多彩なボディタイプが用意されました。エンジンは直列4気筒水冷で、排気量は1165ccまたは1386cc、最高出力は26〜31馬力を発揮。4速マニュアルとFR駆動を組み合わせ、最高速度は約100km/hに達しました。ホイールベースは約2,600mm、車重は900kg前後と軽量で、信頼性の高い構造により都市走行から長距離旅行まで幅広く活躍。1936年には若者4人がこのラピッドで北極圏遠征を成功させ、さらにベルリン五輪ラリーで優勝するなど、冒険と耐久性の象徴として名を残しました。
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