ランボルギーニ・ディアブロ35周年。スーパースポーツカーの新時代を切り開いた伝説

  • 1990年デビュー、最高速度325km/h超で当時のロードカー最速記録を樹立
  • V12エンジン、カーボン素材、四輪駆動など革新的装備で進化を続けたモデル
  • 映画・音楽・ゲームで文化的アイコンとなり、総生産2,903台を記録

ランボルギーニ・ディアブロは、1990年にモナコで開催されたモンテカルロ・ラリーでの公開を皮切りに、世界のスーパースポーツカー史に新たな時代をもたらしました。その開発は1985年の「プロジェクト132」に始まり、当時最速のロードカーを目指して構想されました。クライスラーの参画を経て完成した最終デザインは、シザードア、力強いプロポーション、快適性を兼ね備えたキャビンを特徴とし、カウンタックの後継にふさわしい姿となりました。

搭載された5.7リッターV12エンジンは492馬力(CV)、580Nmを発生し、0-100km/h加速は約4.5秒、最高速度はナルド・サーキットで337km/hを記録。当時の市販車としては前例のない性能でした。さらにアルミとスチールを組み合わせたフレームにカーボン素材を生産車で初採用し、革新的な足回りとともに卓越した走行性能を実現。電動シートやパワーウインドウ、アルパイン製オーディオといった快適装備も備え、スーパースポーツにラグジュアリー性を融合させました。

ディアブロは生産期間中に数々の派生モデルを生みました。1993年登場のVTはランボルギーニ初の四輪駆動システムを搭載し、安定性と安全性を強化。同年のSE30は30周年記念モデルとして525馬力を発揮し、さらにJota仕様では596馬力に達しました。1995年には初のオープンモデルVTロードスターが登場。1998年にアウディ傘下となると、デザイン刷新により固定式ヘッドライトやABS、6リッターV12を採用し、新時代の幕開けを告げました。1999年のGTは575馬力で最高速度338km/hを達成し、最終型6.0 SEはルーク・ドンカーヴォルケによるデザインでブランドの新たな基準を築きました。

また1996年にはワンメイクレース「スーパー・スポーツ・トロフィー」が開催され、32台のディアブロSV-Rが参戦。さらに655馬力を誇るGT1ストラダーレ試作車や、40+1台が生産されたGT-Rが国内外のGT選手権で活躍し、レーシングシーンにもその名を刻みました。

文化的影響力も絶大で、映画『ジム・キャリーのジム・ダンバーダンバ』や『007/ダイ・アナザー・デイ』、ドラマ『スモールビル』などに登場。ゲーム『ニード・フォー・スピード』シリーズでも象徴的な存在となり、ジャミロクワイの「Cosmic Girl」のMVで世代を超えたアイコンに。ジェイ・レノ、マイク・タイソン、ニコラス・ケイジなど著名人が所有し、世界的なステータスシンボルとして確立しました。

ボディカラーは60種以上が用意され、そのうち40色はカスタマイズ可能で、アド・ペルソナムの先駆けとなりました。人気色は赤で、550台以上が生産。総生産台数は2,903台に達し、2001年までのランボルギーニ史上最高の販売実績を記録しました。

2023年にはペブルビーチ・コンクール・デレガンスで1994年のSE30が表彰台に上がり、その価値は現在も上昇傾向にあります。特別仕様や希少モデルは国際オークションでも高額取引が進み、ランボルギーニ・ポロ・ストリコが手掛ける認証やレストアの依頼も増加中です。

生産終了後もディアブロは終焉ではなく、新たな始まりとなりました。スーパースポーツの概念を再定義し、後継モデルへと革新の道を開いたこのモデルは、デビューから35年を経た今なお、極限のパフォーマンスと時代を超えたデザイン、そして技術革新の象徴であり続けています。

【ひとこと解説】
ルーク・ドンカーヴォルケはベルギー出身のカーデザイナーで、ランボルギーニやベントレー、現代自動車グループで活躍してきました。ランボルギーニではディアブロ最終型やムルシエラゴ、ガヤルドを手掛け、ブランドのデザイン言語を刷新。ベントレーではフライングスパーやコンチネンタルGTを担当し、ラグジュアリーの新基準を確立しました。2015年以降はヒョンデ・ジェネシスのデザイン統括としても存在感を示し、現代的かつ力強いデザイン哲学を世界に発信しています。

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